◯◯してはいけないシリーズ最新作!『バード・ボックス』

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ここ最近、Netflixがあらゆる手を使って大大大告知している『バード・ボックス』。

題名で書かれている◯◯はズバリ

"見てはいけない"が入るのだが、最早こんな鬼畜制限もなんやかんやで観れてしまうのは

ドント・ブリーズ』(息をしてはいけない)の流行に乗り、次々と"◯◯してはいけない"制限ホラーが成功しているのは言わずもがな。

 

今作の具体的に見てはいけないモノとは何なのか?それはネタバレにはならないが言及すると面白さが10分の1減ってしまうのであえて触れず。

何故10分の1しか減らないのかというと、

今作は紛れも無い家族愛&他人との共同生活から成る信頼関係が主軸に置かれているからであって、この設定は正直二の次である。

しかし設定の脆さをここで逐一あげたところで何にもならないし、こういう設定命の映画の核を潰すようなつまらないことはしたく無いのでスルー。

 

まあとにかくテーマはよくあるもので、これがゾンビであってもウイルスであっても全く同じことができてしまうわけで、そういう風に考えれてしまうあたりうまくこの設定を使いこなせていないなというのが正直な感想。

それと主人公の母親(サンドラ・ブロック)が基本根暗で冷たい上に育ちがあまり良くないような描写が冒頭から中盤にかけてかすかに語られるにもかかわらず、その点も最後まで生かしきれず。

 

設定の斬新さこそはあるものの、結局それは集客効果だけであってその先がない。

シャマラン印の『ハプニング』を大真面目にやってしまった感じ。

母親としての苦悩も曖昧な感じだし、

伏線の貼り方も割と雑。

無論人物設定はお得意のキリスト教をモチーフにしているのだが(父親のいない母親像であったり、男女の子供であったり、川を下ることが宗教的メタファーであったり)

何かとメタればいいってもんじゃない。

 

とまあ割とボロクソにまだまだ言いたいことはあるものの、もちろんいいところもあって、

サンドラブロックが劇中ずっと子供2人を

「ボーイ」、「ガール」と呼んでいるのですが、最後の最後に名を与えるのとかは(これもやはり宗教的メタファー、そして母親としての成長を直接的に描いたシーン)やはり物語の構成上グッと来るものがある。

 

原作では女の子の方が「これをやるな!」といったことをすぐにやってしまう映画演出としては非常に助かる人物だが、映画では控え目なガキで個人的に子供の奇行を観るとイライラしてしまうタチの自分としては健康的だった。

 

 

色々とっちらかってしまったが、

簡潔にまとめると

サンドラブロックの母親としての成長、語られ尽くした他人との信頼関係に重きを置き過ぎた結果、既視感ありありになってしまい折角の詰み設定が出オチになってしまって残念、、、

ということでした。

 

 

 

 

シリーズを大きく前進させた『ジュラシック・ワールド 炎の王国』

f:id:tkbtr:20181225121443p:plain2018年7月28日、
TOHOシネマズ日比谷にて絶賛公開中の
ジュラシック・ワールド 炎の王国』
を鑑賞。


前作『ジュラシック・ワールド』公開から
3年の月日が経った。そしてその月日は実際の劇中にも反映されている。
つまりは、恐竜たちを間近で見ることができる新テーマパーク「ジュラシック・ワールド」で遺伝子操作によって生まれた
インドミナスレックスの脱走により起きた大惨事、命懸けの脱出劇から3年が経っていた。


3年前の大惨事に直接関係している者たちは
遺伝子操作によって新たな人工的肉食恐竜を
創り上げようとしていたり、
人っ子一人いない所でマイホームを一から建てほのぼの暮らしていたりと十人十色な生活を送っていた。


そんなバラバラな彼らをまた一つの場所に集合させる出来事が生じていた。
それは、恐竜たちの住む島にある再活動した火山によって、その島の生き物が死滅する可能性が浮上したからである。



生態系の変化に人間が直接手を下すべきなのか
または自然に身を委ね、恐竜を死滅させるのか
という議論が国全体で行われている中、
違法ながらも極秘に恐竜たちを保護することを目論むクレアと
もう一度ブルーに会いたいオーウェン
禁断の土地へ踏み込む!



スピルバーグの『ジュラシック・パーク』から始まったジュラシックシリーズ。
各作品の根底には
"人間は生物を管理することができるのか?"
というテーマが置かれていたが、どれも管理者側のミスであったり、避けることのできた大惨事であったりとこのテーマを語るには溜飲の下がらない感じがしていた。
そしてそれは新たなジュラシックシリーズの始まり、
ジュラシック・ワールド』でも言えた。
あまりに酷すぎる管理環境下で人間のミスが次々と続き大惨事へ。
「人間に正確さはなく、ミスする生き物」
という話なら納得出来るがそういう話ではない、拙い脚本であった。


実際に1作目から話自体が進んだのは3作目である。
オスしかいない島で生き残り、
子孫繁栄するために何匹かのオスがメスへと進化して卵を産む。
人類が想像することのできなかった奇想天外な進化が生じるため、元から生物を管理することなんざ難しい事であった、
という元来のテーマに立ち返った。


そして迎えた今作炎の王国。
まさにそれは3作目の続きであった。
つまりジュラシックシリーズの物語が大きく前進した1作であり、なおかつそれをスピルバーグ調のエンターテイメントで描き切るという、
ファンサービスもこなしジュラシックシリーズをさらなる先へと向かう第一歩の役割を果たした。


ジュラシックシリーズの恐竜と人間の関係は、
創り出されたモノと創造主の関係。すなわち
人間と神の関係であり、それはAIが日々進化している現代に通底するテーマでもある。
そしてこのテーマは『ブレードランナー』『プロメテウス』などを初めとする多くの映画でも語られている。


上記の作品はどちらも管理側に人間が立っていて、ある事を契機にその関係性が壊れる瞬間を描いている。
神話でも人間は火を使用した事により、科学技術が発達し、多くの出来事に意味や原因を立証する事が出来るようになった。
ニーチェの言った、「神は死んだ」にも象徴されるように、生物の進化を管理する事は出来ない。


今作は管理側のバカなミスによって大惨事が起きるというテンプレをやらずに、
1作目と2作目の見せ場を現在のCG技術で焼き直ししつつ、監督自身の作家性を生かしながら停滞していたテーマを次の段階へと向かわせる結末を迎えた。
これからも続くであろうジュラシックシリーズの重要な分岐点となった今作は非常に重要な位置に立つと感じた。